第一話「出会い」

 だいぶ陽気が暖かくなってきた。毎年のように雪が降るほど寒くはないが、木枯らし吹き荒れる季節に外出するのは、堪える。錬金術師という職業は、一年を通じて薬草採取をする。寒い季節よりも、暖かい季節のほうがやりやすい、とは考えていた。
 彼女は、セインガルド王国の王都ダリルシェイドから、ストレライズ神殿へと続く街道の脇道で薬草採取をしていた。若葉を摘み取り、傍らにおいてある藤蔦で編んだ籠に丁寧に並べる。すでに籠は、八割薬草で埋まっていて、そろそろダリルシェイドへ帰ろうか、とは思った。
 その時、少し離れたところで剣戟と気合を込めた人の声と、獣の鳴き声が聞こえる。は、荷物をまとめて音の聞こえた方へ警戒しながら走りだした。
 ストレライズ神殿への街道沿いで、一人の少年がモンスターに囲まれていた。モンスターの数は五匹。きのこの化物と、蜂の化物たちが円陣で取り囲み、中心に長剣を振りかざしている少年がいた。彼は、紺色の制服に桃色のマントをなびかせている。セインガルド王国の紋章入りの制服は、王国に仕える者の証であった。
 は、腰に挿していた鉄扇を両手に構え、少年の背後から襲いかかろうとしていた蜂の化物をたたき落とした。
「大丈夫?」
 は、少年と背中合わせになるように立ち、肩越しに尋ねた。
「僕に助けは不要だ。邪魔だ」
 けんもほろろな少年の言葉には、肩をすくめた。
「そんな事言ってるわりには、囲まれているようだけれど」
 は、対峙しているきのこの化物足払いをかけて、きのこの体勢がよろめいたところで鉄扇を振りかぶってきのこの笠を叩き潰す。舞うような鮮やかな手並みに、少年は一瞬だけに気を取られた。その隙を蜂の化物はついてきた。
 息を呑みこむ声がして、は慌てて振り返った。少年が剣を持ったまま左手で右肩を肩を抑えて地面に倒れ込もうとしていた。
「えーっちょっとーっ!」
 地面に倒れ伏す直前に、は彼を右腕で抱きとめた。すぐさま、空いている手で鉄扇を開いて、蜂の化物に投げつける。鉄扇は蜂の化物を二つに割いて、弧を描くようにの手元に戻った。
 は、抱きかかえた少年が自分の肩口で荒い息をしているのに気がついた。たんなる切り傷ではなく、毒を持ってつけられた傷のようだ。
 慌てて少年を地面に寝かせて顔色の見た。顔色は、悪くない。若干汗ばんだ額に触れて、体温を計る。体温は正常のようだ。左手首を掴んで脈拍を数える。脈拍が少しだけ速い。微かに苦しそうなうめき声が聞こえるので、完全に意識は失っていないようである。まだ深刻な事態にはなっていないと確認できたので、ほっと一息ついた。
とりあえず、握って話さない剣を彼の手からゆっくり離して、鞘に収めた。
 持ち歩いていたバッグの中から、ケースに収められた粉末の薬草と、試験管に入った水溶液を取り出す。取り出したカップに粉末の薬草を少し入れ、試験管に入っている水溶液をすべて注ぎ込む。ガラス棒で軽く混ぜて合わせた。は、少年の頭を抱えて膝に乗せると少年の鼻を摘んだ。息苦しくなり開いた口にカップを押し付けて、徐々に飲ませる。
 カップに入っていた液体を全て飲み干す頃には、少年の息遣いがだいぶ落ち着いたものに変わってきた。
「ここじゃ、狙われやすいから場所を変えるよ」
 自分よりも若干背の高い少年を、テコの原理で持ち上げて荷物のように抱えた。手馴れて入るが、やっぱり少年を運ぶのは重たいのかは、苦しそうな声を上げた。街道脇にある大木の木陰まで移動して、少年をゆっくりと地面に寝かせた。鞄から瓶入りの傷薬と包帯を取り出して、手際よく応急手当をした。
 が選んだ大木は、きのこの化物や蜂が苦手とする匂いを発する木で旅人たちがよく、休憩をするために集まるところだった。森の中で作業をすることが多いは、このような場所を幾つも知っていた。
 寝かせた少年の隣に座って、はじっと少年の顔を見つめていた。眠っているのに整った顔立ちは、さぞかしダリルシェイドでは、噂になっていただろう。
 低いうめき声を上げて、少年がゆっくりと目を開けた。素早くあたりを見回し、自分の愛剣の場所を確認する。
「あ、気がついた?」
 は、無防備に顔を覗きこむと、少年は起き上がって、隠し持っていた短剣での首元につきつける。
「貴様、何をしている」
 少年は、を睨みつけた。
「毒に倒れた貴方を助けただけよ。短剣を引っ込めてくれない?」
 は、首元に短剣をつきつけられているのにも関わらず、やれやれとため息でも付きそうな言い方だ。まるで緊張感がない。
「貴様、何者だ?」
「まずは、貴方が名乗りなさいよ」
 少年は、短剣を横に閃かせる。
「っ……」
 は、息を呑むような悲鳴を上げた。首の皮一枚、短剣で切り裂かれたのだ。次に妙な受け答えをしたら、喉元を一気に貫くつもりだろう。
 は、今度こそため息を付いた。
よ。ダリルシェイドで、錬金術師をしているの」
「何故、森にいた」
「錬金術に使う薬草や木の実の採取。あの籠にいっぱい入ってるわよ」
 は、目線で脇においている藤蔦制の籠を指した。
「僕に、何を飲ませた?」
「毒消し」
 まるで尋問だな、とは思いながら答えた。不審そうにしている少年のために、言葉を続ける。
「成分は、パナシーアボトルと同じだけど、錬金術で作ったものよ」
「どうだった、シャル?」
 少年は、他に誰も近くに居ないというのに声を低くして言った。
『怪しいところは、無かったですよ』
 優しい青年の声が、直接頭に響いた。
「尋問が終わったなら、短剣を仕舞ってくれないかしら?」
 聞こえてきた声については、聞こえなかったふりをしては、言った。彼は、を不審そうに睨みつけているものの短剣を鞘に収めた。
「で、貴方は?」
「なんだ?」
「貴方の名前教えて」
『え?坊ちゃんの名前知らないの?』
「僕のことを知らないのか?」
 少年は、心底驚いたような表情を見せた。驚いた時の顔は歳相応の子供っぽさがのこる顔つきだ。
「知っていて助けたんじゃないのか?」
「貴方がどれだけ有名人か知りませんが、モンスターに囲まれていたら助けるのは、ワンダリングの基本だと思うのだけど」
 は、呆れていった。
「何、貴方は超有名人なの?」
 人の噂話を仕入れることをあまりしないは、精々知っている『有名人』は、セインガルドの国主でもある国王と、その腹心である七将軍だけだ。彼らは、王城のバルコニーで国民に向かって挨拶や、演説をすることが多いからだ。
「リオン・マグナスだ。セインガルドの客員剣士を拝命している」
「へぇ……。貴方が。ふーん」
 気の抜けたようなの反応に、リオンは表情を険しくする。
「何だ、その反応は?馬鹿にしているのか」
「敬って、へつらえって言うわけ?私は、貴方の取り巻きじゃないんだから、これ以上何を言えっていうのよ」
 の歯に衣着せぬ言い方に、リオンはあっけにとられる。リオンの周囲に入る人間は、たいてい何かしらの下心があって近づいてくるので、媚びたり、必要以上に恐縮しない反応は新鮮だった。
『随分坊ちゃんに言いたいことはっきり言いますね。この子すごいですよ』
 時折、頭の中に直接声を響かせる何か、については考えるのをやめた。そう、なんとなく正体に心当たりがあったのだ。だけれど、自分はそれには関わり合いたくない。
「体調はどう?」
「悪くない」
 ようやくリオンは、わずかに表情を緩めてに答えた。も、リオンの顔色を見て大丈夫そうだと判断したのか、荷物をまとめて立ち上がった。
「そ。じゃ、そういうわけで」
 あっさりとは、リオンとの別れを決めたようだ。ストレライズ神殿の森の中に再び姿をくらませようとするのを、リオンが止めた。
「待て」
『そうですよ、坊ちゃん。お礼言わないと』
「お礼なんて良いから。当たり前の事だし」
「……。お礼など、誰が言うか」
 リオンは、の言葉に眉根を寄せて、わずかに躊躇って憎まれ口をきいた。
、君ってもしかして『鬼飛びの錬金術師』とか呼ばれてない?』
「呼ばれてない!それは、お師匠様の通り名よ」
 「鬼も飛びのく錬金術師」が正式名称だ。錬金術は、もともと「レンズで死者を生き返らせる」という研究から始まったものだ。鬼も飛びのくほどの破天荒な錬金術師、という意味がある。
「お前、聞こえているのか?」
 つい、うっかり呼ばれたくもない通り名を口に出されたことで反応してしまった。せっかく聞こえないふりをしていたというのに。
「何が?」
 は、しらを切ってみせたが不機嫌そうに眉根を寄せているリオンは、ごまかされないようだ。
「僕は、貴様の通り名など呼んでない」
「わ、私は何も聞こえてないわ」
「待て」
 一目散に駆け出そうとしたの腕をリオンは、がっちりと掴んだ。
「放して」
「面白いやつだな」
 逃げ出そうとしたことで、余計にリオンの興味を引いたらしい。
 聞こえない声が何であるか気がついている証拠だ、とリオンは推察した。
「色々と、貴様の事を話してもらおうか」
「誰が」
「適当な罪を着せて、拷問の上に尋問しても構わないのだが」
 リオンが自分の権力を最大限に使った脅しをすると、はリオンから顔を逸らして形の良い桜色の唇を噛み締めた。
「分かったわ」
 は、リオンに屈服した。

ストレライズ神殿への森で出会ったのは、運命の鐘を鳴らす貴方

[2012年 06月 22日]