第六話「夕日色のスープ」

 リオンは、いつもの習慣になりつつあるの店へと買い物に来ていた。店の入口に「開店中」と書かれた札がでているのに、店内に入ってみると無人だった。あまりの無用心さにリオンは呆れる。
「誰も居ないのか?」
 リオンは、店の奥に向かって声をかけた。すると、遠くの方から聞きなれた声が聞こえた。
「リオン来たの?表から、裏に回って」
 住居側の入り口からの声は聞こえる。どうやら、裏で何か作業をしているようだ。リオンは、店から出て住居側の入り口にまわる。
 住居側は、お店とは違って余計な飾りなどついていない地味な玄関口だ。しかし、玄関先の小道は良く手入れされた芝生で覆われ、奥へと通じていた。リオンは、庭への小道にそっと足を踏み入れた。
 そこは、緑の楽園かと思った。
 リオンは、緑に覆われた里山を切り取ったかのような風情に声もなく驚いた。数種類の木々が植えられていて、地面に柔らかい日差しの差し込む木陰が映る。何百種類もの草花が不規則に植えられていて、きっちりと作られた庭であるヒューゴ邸とは趣を異にしていた。夏の太陽を浴びようとひょろり、と背を伸ばした花は涼し気な白色をしていて、凛と佇んでいた。
 無造作だけれども、丁寧に手の入った美しい庭の奥では、しゃがみこんで草花にハサミを入れていた。咲き終わった花殻を摘み取り、伸びすぎた茎を切り、隣に置いてある籠にいれる。葉をめくり、裏側に虫がついていないか確認する。は、丹念に草花の世話をしていた。一枚の絵画のように美しい光景をリオンは、がリオンに気がつくまで眺めていた。
「見事なものだな」
 に名前を呼ばれて、リオンはぼんやりとしていた意識を戻すと素直に庭を褒めていた。
「ここを手入れしているのは、全部お前が?」
「そうだよ。錬金術で使う薬草を育てたり、薬草を育てたり」
 は立ち上がって、泥のついた膝を叩いた。
「リオンのお屋敷の庭には、華やかさで負けるけれど」
「いや、ここも十分綺麗だ」
 リオンは、庭を見渡して言った。観賞用の華やかな庭ではないけれど、居心地のいい庭だ。
「今日は何?アイテム買いにきたの?それとも、補佐のバイト?」
「アイテム買いにきた。それと、今日は休日だ」
 リオンは、暗に補佐のバイトは無いことをに告げた。
「休日にここに来るなんて珍しいね。いつもは、ずっとお屋敷にいるじゃない」
 リオンは、大抵休日をヒューゴ邸の自分の部屋で過ごしている。の店にやってくるのは、勤務中の時だけだ。
『今日は、マリアンがいないんだ。だから坊ちゃんは、お屋敷にいてもつまらないんだよ』
 の疑問に答えたのは、シャルティエだった。
「ああ、マリアンお手製のおやつがないものね」
 は、くすくす笑った。リオンは、シャルティエのコアクリスタルを苛立ち紛れに殴りつけた。
『坊ちゃん、僕を大事に扱ってください』
 シャルティエの抗議に、は笑いを引っ込めてリオンに尋ねた。
「お昼食べていく?」
 リオンは、そのつもりでの家に来たので、黙った頷いた。
「じゃあ、天気もいいからここで食べようか。そっちにテーブルがあるから、そこで待っていて」
 は、庭の奥を指した。母屋のテラスにテーブルとイスのセットが置かれている。木陰になっていて涼しそうな場所だ。リオンは、イスにシャルティエを立てかけて座った。風の通り道になっているのか、爽やかな風が通り抜けて涼しい。木々の葉の揺れる音と、鳥の鳴き声に肩の力が抜けていくのがわかる。
 は、野菜畑でいくつか野菜を収穫した後テラスから、家の中に入っていった。リオンの座っているイスから、家の中が少しだけのぞける。木製の調度品で囲まれた控えめだけれどセンスの良い部屋が見えた。
「ここは、すごく居心地のいいな」
『華やかすぎず、地味でもない。小さな池まであってお屋敷の庭とはだいぶ雰囲気が違いますよね。田舎の風景みたいです』
 当たりを見渡すと、ちょうど母屋で日陰になるところには小さな人工の池が作られていて湿地に咲く花が茂り、コケが蒸している。田舎の風景を切り取ったかのようだ。
「そうだな、適度に手入れされているから本当の田舎の風景とはだいぶ違うだろうが」
って不思議ですよね』
「それは、僕も思っていた」
『鉄扇の腕前は、護身用のレベルを超えていて、錬金術の腕前は極めている。礼儀作法は貴族の所作、兵学や帝王学も修めている可能性もありそうですね』
「バイトと称して連れて行くたび、女なら知らなそうな兵法についてペラペラ話すからな」
 リオンは、打てば響くとの会話に、多少不自然さを感じていた。一般的に暮らす人が、知らなそうなこともよく知っているのだ。
「ファンダリアの貴族の娘ではないのか?」
 リオンは、の出身をそのように当たりをつけていた。貴族の娘であれば、勉学の環境に恵まれているだろうし、礼儀作法を学ぶ機会も多いだろう。
『貴族のお嬢さんが、こんなところで何をしているのかって気になりますね』
 本当に、貴族の娘であればよっぽどの理由がない限り、ファンダリアで生活しているはずだ。わざわざ他国へ来て、一般市民と同じように生活する必要はない。
「スパイではなさそうだな」
 一般的に生活しなければならない理由とすれば、スパイというのがあげられるだろう。しかし、リオンは首を振った。
「スパイなら、僕にもっと踏み込んでくるはずだ。城内に入れる機会なんだからな。それどころか公の場から逃げようとする」
『家出娘かもしれないですね』
 ファンダリアは、セインガルドにとって友好国であるのでセインガルド城内に出入りすれば、もしかしたらファンダリアの貴族をよく知っている人物とかち合ってもおかしくはない。シャルティエは、そう考えて公の場からが逃げ出したがる理由と推測した。
「お待ちどう様」
 は、お盆にのせて昼食を運んできた。美味しそうな匂いがあたりに漂う。は、スープ皿をリオンの前に置いて、パンの入った籠をテーブルの中央においた。スプーンにナプキンを添えてリオンの前に置いて、はリオンが硬直していることに気がついた。
『わあ、マリアの料理って見た目も美味しそうだね』
「ありがとう。シャルティエって人を喜ばすのが上手なのね」
 取り繕うかのようなシャルティエの褒め言葉に、それでもはニコニコと微笑んだ。リオンは相変わらずスープを凝視したままだ。
「どうしたのリオン?」
 まさか料理が美味しそうだから凝視している、というわけではないということぐらいも気がついている。
『ああ……。坊ちゃん』
 シャルティエが、嘆かわしそな口調でリオンに呼びかける。返事はない。は、夕日の色をしたスープを眺めた。
「あ、もしかして人参嫌いとか?」
 夕日色のスープは、人参でつくった物だ。人参嫌いには鬼門の色である。
『そういえば、には言ってなかったね』
 は、ため息をついた。
「この人参は、この庭で私が丹精こめて作ったの。マズイわけないわ」
 リオンは、お屋敷での食事には野菜が極力省かれていることを知っている。せっかくが用意してくれた昼食を人参というだけで、癇癪を起こすことはリオンにはできなかった。その程度には、に心をひらいているのだ。リオンは、息を呑んでスプーンでスープを救った。まるで、親の敵のように夕日色のスープを睨みつけて一口、口に含んだ。
「……これは、平気だ」
 人参の甘いのに苦いという不思議な味が嫌いなリオンは、優しく甘い人参の味に満足した。
『坊ちゃん凄いですね』
「さっき収穫したばかりだもの。甘いでしょ?」
 大抵の人参嫌いは苦いのが苦手なのよね、とはニヤニヤ笑ってリオンを見つめる。
「ああ、苦くない」
 美味しいと口には出さないが、頬の緩みきったリオンの表情をみては嬉しそうに笑った。

 あの日のスープと同じ色をした太陽が空を染める頃、リオンとはダリルシェイドの通りを歩いていた。はリオンの補佐のバイト帰りだ。律儀にリオンはいつも彼女を家まで送る。
「最近、お前もまあまあやるようになってきたじゃないか」
 何度もリオンのサポートをしてきたためか、戦闘になるとリオンは心地よさを感じるほどコンビネーションがうまくいく。コンビネーションが上手いということは、戦闘が楽になるということで、被害も減る。リオンは、すでに他の人物にはサポートを任せられないでいた。
「ありがとう」
 掛け値なしのリオンの褒め言葉に、素直にはお礼を言った。も口は悪いほうだが、褒められたことにはきちんと素直に礼を返す。リオンは、真似したくてもできないところだ。
 いつの間にかの店の前まで歩いてきていた。最近、リオンはと話をしていると時間が短く感じるようになった。は不思議な魅力があって、異性の友人という堅苦しさを感じさせない。
「それじゃ、また今度」
 は、軽く手を振って住居側の玄関から入っていった。リオンはが姿を消すまで眺めていて、きびすを返してヒューゴ邸に向かう。
『あれ……??』
 シャルティエが不思議そうに呟いたので、リオンは振り返った。しかし、すでにの姿もなく、特に異変も感じられないのでそのまま歩を進める。シャルティエは、リオンと五感を共有しているがリオンには気が付かなかった何かに気がついたのかと、リオンはシャルティエに尋ねたがシャルティエ自信もよく分かっていないようだった。
 ただ、言いようのない違和感がある、とシャルティエは答えた。
 夜になって、いつものようにリオンはシャルティエの手入れをはじめる。と会う前は必要最低限の、生活感のないさっぱりとした部屋だったが、今は、幾つかのハーブの鉢植えが棚に並べられている。どれも、葉をちぎるといい匂いのするハーブで、疲れた時に香りを嗅ぐと気分転換になるとに勧められたものだった。最初こそ、育てるのを嫌がっていたリオンだが、香りの効能とハーブを育てていると知ったマリアンの嬉しそうな顔をみて、今ではせっせと世話をしていた。
『今日、の様子、おかしくありませんでした?』
 夕方のことがどうしても気になるのか、シャルティエはリオンに尋ねる。
「そうか?」
『夕食に呼ばれなかったですし』
 いつも、礼儀だとかなんだとか、何かにつけて食事に誘うが珍しく今日は何も言わなかったのだ。一緒に任務に出かけるようになって初めてのことだった。
「たまにはそういうこともあるだろう」
 リオンはまったく気にもしていないようだ。
『そうなんですけど……なんか、引っかかるんですよね』
「僕は、もう寝るぞ」
 シャルティエを磨き終わったリオンは、使っていた道具を片付け始める。シャルティエは、何かぶつぶつとつぶやいているが、リオンにははっきりとは聞こえない。思考の整理をしているようだ。リオンは、呆れながらシャルティエを定位置に立てかける。
『そうですね、明日も早いですし』
 シャルティエは、思考を切り替えたようだ。『おやすみなさい』とコアクリスタルを点滅させる。
「おやすみ、シャル」
 リオンは、あそこまでシャルティエが気にしていることのほうが気になった。同じ五感を共有しているはずなのに、自分には気がつけなくて、シャルティエには気がつく何かがあったのだ。漠然とした不安を胸に抱いたが、やがてやってきた睡魔にすべてが、有耶無耶に夜の闇に溶けて消えていった。

 リオンは、数ヶ月の長期任務を終えてダリルシェイドに帰ってきた。今回は、オベロン社に関する任務だったので、は連れて行っていない。久しぶりに会いに行こうと報告を終えてすぐに、の家へと向かった。
 いつの日かと同じ、人参のスープの色をした夕空を見上げてリオンは、漠然とした不安を覚えた。リオンは、の家の前で、立ち尽くした。家を間違えたのかと思ったのだ。の家の門が閉ざされていて、店も閉まっている。そろそろランプに明かりを入れる頃なので、部屋のどこかがランプの光で明るく照らされているはずなのだが、全ての窓は暗い。店の窓は雨戸が閉ざされていて、中を見ることができなかった。
 まるで、空き家のようだ、とリオンは息を呑んだ。
は、いないのか?」
『どうしたんでしょうね?まるで、引っ越した後のようですよ』
 リオンが家の前で逡巡していることに気がついた、の家の隣人がわざわざ通りまででてきてリオンに言った。
ちゃんなら、引っ越したよ」
「何時の事だ?」
「三ヶ月ぐらい前かな」
 まだ、リオンが任務中でダリルシェイドに居ない頃だ。
「急に決まったとかで、慌てて引っ越していったよ」
「どこに行ったかわかるか?」
「故郷に帰るとか言ってたかな」
 そうか、とリオンは頷いて礼を言ってヒューゴ邸へ向かった。
『ファンダリアに帰っちゃったんですね』
 シャルティエが以前気がついた違和感とは、このことだったのだとリオンは気がついた。恐らく、あの頃、すでに引っ越すことを決めていて荷物の整理を始めていたのだろう。だから、夕食に呼ぶ余裕が無かったのだ。
 自分には何も言わずに行ってしまったのだ、とリオンは気がついた時、胸に穴の開いた寂寥感を感じた。

人参がますます嫌いになった。

[2012年 07月 23日]