第三話「大嫌いな人」

 が、店内でアイテムを並べていると店の入口のドアが開いた。からん、とカウベルが鳴いた。珍しい客に、は微笑みながら、声を掛けた。
「いらっしゃい。まさか、お店に来るとは思わなかった」
「客ではない」
 お店の入り口から入っておきながら、リオンは取り付く島もない。
「おまえに用があってきた」
「私、名前を名乗ったつもりだけど」
 出会ってから一度もリオンは、の名前を意図的に呼んでいない。
「総帥がお呼びだ」
「人の話、聞いてないよね?」
 がリオンの話を聞き流して、問いかける。
「何故、僕がお前の話を聞かなければならない」
「セインガルドの薔薇のくせにーっ」
「その名を呼ぶな、不愉快だ。馬鹿女」
 心底、嫌そうな顔をしてリオンは怒鳴った。
「お前とか、馬鹿女とか建前が使えない底の浅い坊ちゃんの頼まれごとなんて、きかないわよ」
『マリア、落ち着いて。坊ちゃんは人との付き合い方が良くわからないんだよ』
「付き合い方というか、人を見下しているじゃない」
 リオンは、怒りに体を震わせながらの腕を掴んで、自分の方へと引っ張る。
「いいから来い。総帥がお前に会いたいとおっしゃってるんだ」
 逃がさない、と言わんばかりにリオンはの腕を握りこむ。は、痛みに顔をしかめるが、リオンはまったく気がついていないようだ。
「オベロン社にヘッドハンティングなんてゴメンだわ」
「お前に拒否権はない。いいから来い」
 リオンとは、行く、行かないで店の入口でしばらく押し問答をしていたが、やがてリオンが力任せにを引きずるように連れて行った。は、ぶつぶつと抵抗していたが、街の住人から必要以上に注目を集めていることに気がついて、黙ってリオンに付き従った。

 オベロン社総帥の住まいは、ダリルシェイドでも高級住宅街のエリアにある。その中でもひときわ広い敷地を持つお屋敷だ。玄関ポーチは、隅々まで掃除が行き届いていて、季節の花が客人たちを出迎えている。リオンは躊躇もなく屋敷に足を踏み入れた。
 玄関口には、折り目正しく服装を整えた執事がたちを出迎える。レンブラントと名乗った彼は、主が部屋ですでに待っていることを二人に伝えた。リオンが先頭となり、屋敷の中を歩く。は、シンプルだけれど高価そうな調度品を物珍しそうに眺めながら歩く。
 二階の一番奥の部屋にオベロン社総帥の執務室は、ある。リオンは、大きな扉の前で停まりノックをして来意を告げた。
をお連れしました」
 短い返事があり、リオンが扉を開けてに入室するように促した。
「よく来たね」
 執務室は、廊下に飾ってあった調度品よりも少しばかり高価な物が飾られている。部屋には心地よい程度に陽の光が入り、とても過ごしやすそうだ。オベロン社総帥のヒューゴ・ジルクリストは来客用のソファから立ち上がって、二人を出迎えた。
「私は、オベロン社総帥のヒューゴ・ジルクリストだ」
 ヒューゴは、穏やかな口調で自己紹介し、に右手を差し出した。会社のトップとしての威厳と、誰にでも好感を得られそうな笑みを浮かべているヒューゴは、よくできたリーダー像そのものだ。は、にこやかに微笑を浮かべているその瞳の奥が、冷たく光ったような気がした。
と申します」
 名乗って、ヒューゴと同じように右手を出して握手をした。友好の握手のようでいて、違うんだろうな、とは思った。
 ヒューゴに勧められるまま、とリオンは椅子に座った。調度良いタイミングでメイドが淹れたばかりのコーヒーをテーブルに置いていった。
「昨日、リオンに君のことを聞いてね。ソーディアンマスターの資格を保つ者は大変珍しい。その才能を我社に生かしてくれないか、と思ってね」
「申し訳ありませんが、お受けできません」
 は、躊躇もなくヒューゴの申し出を断った。隣で、リオンが息を呑んだ。ヒューゴも、引く手あまたと言われるオベロン社の入社を拒否されて、わずかに怯んだ。
「何故か、聞いても構わないかね?」
「私は、錬金術師です。錬金術師が剣を扱えないことはご存知でしょう?」
「『死人返しの剣』以外を持ってはならないから、という迷信を信じているのかね?」
 ヒューゴは、さすがに錬金術師の有名な掟を知っていた。「死人返しの剣」という剣があり、その剣以外は持ってはならないという掟である。もっとも、最近ではその掟を忠実に守っている錬金術師は少ない。旅をする際に、護身用として剣を持つものは多い。
 は、「死人返しの剣」以外を持たないという掟を忠実に守っている数少ない錬金術師だ。
「そういうのを信じなければ、錬金術師たりえません」
 掟を守らない錬金術師がいることも、は知っている。しかし、は錬金術師の一パーセントほどしかたどり着くことができない、奥義を納めたものだ。掟を破ることはできない。当然、この掟の真意も理解している。
「錬金術師よりも、オベロン社社員のほうが安定した収入が得られると考えはしないのかね?」
「錬金術が好きですから、お金でこの気持を満足させることはできません」
 リオンは、そういって至福の笑顔を浮かべたの顔に見入った。あまりにも綺麗な笑顔で、決して自分に向けられたことはない表情だった。
「そこまで君が言うのなら、諦めよう。ただ、腕が立つともきく。バイト代代わりにでもリオンの手伝いを時折してやってくれないだろうか?」
「僕は、一人でも平気です」
 リオンが気色ばんだが、ヒューゴはまったく取り合わない。
「お前に意見は求めていない」
 冷徹とも言える声でリオンの意見を一掃する。は、温かみのないやり取りにわずかに、肩をすくめた。
 リオンがすぐに謝罪する。
「そういうことでしたら、微力ながらお手伝いさせていただきます」
 は、リオンに同情したのか快く返事をした。
「では、話はこれで終わりだ」
 用は済んだ、と言わんばかりにヒューゴは、たちを部屋から追い出す。挨拶もそこそこには、ヒューゴの執務室を後にした。
 部屋にコーヒを持ってきたメイドが、階下のリビングルームでお茶の準備をしていた。降りてきたたちを見て、メイドが声をかける。
「よろしければ、お茶はいかがですか?」
「マリアン、こんな奴に気を遣うことなんてない」
 メイドのマリアンの勧めをリオンは、不機嫌そうに遮った。
「良いんですか?」
 リオンの面白くなさそうな言葉は聞かなかったことにして、はマリアンに愛想よく答えた。
「なっ、図々しいぞ」
「お茶にお呼ばれされるのは、セインガルド王国の習慣だよ。リオンは、客員剣士でありながら、そんな事知らないわけじゃないでしょ」
 茶化すようにがいうと、リオンは更にムシの居所が悪くなったようだ。
「貴様っ」
 すぐにでも抜剣できるように、腰のソーディアンに左手をかける。
「リオン様、お茶をどうぞ」
 マリアンは、リオンの扱い方を心得ているようでまず、最初に気分を害しているリオンを呼んだ。すると、それまでのつんつんした態度をころりと変えて、優しい声音で答えた。
「ありがとう、マリアン」
 あまりの態度の違いには、呆れ返っていたがやがて、席についた自分の前にもお茶が置かれるとすぐに口をつけた。
「このお茶、美味しい」
「当たり前だ。マリアンが淹れたんだから」
「得意げに言うことかしら?」
「減らず口をっ。大体、僕は一人で任務をこなせる。これまでそうだったんだ。ヒューゴ様のご命令で仕方なく連れて行くのだから、そこのところをわきまえろ」
 は、ちょっとつついたせいで、たくさん出てきた文句に辟易としていた。これで客員剣士をやっているだなんて、よく務まるものだ。
「別に、私の方から手伝いたいと言ったわけじゃないんだから、本当に連れて行かなくてもいいのに」
 リオンの不機嫌の本質が、任務を一緒に行うというところにあるわけではないことをは、気がついていたが、あえて話を逸らした。気が付かなければ、気が付かないでもいいのだ。
『坊ちゃん、少しは素直になりましょうよ。と一緒なら、任務も楽になるじゃないですか』
 二人のやり取りにしびれを切らしたのか、シャルティエがリオンを諭すように言った。
「いいか、拒否権などない。僕が来いと言ったら来るんだ。これは命令だ」
「はいはい。あ、お茶ごちそうさま」
 は、リオンの話を適当に聞き流しながら、お茶を飲み干した。立ち上がって、マリアンに優雅に一礼をする。洗練された動きに、リオンは呆然との後ろ姿を見送る。
「あの女、礼儀作法がやけに様になってないか?」
『そういえば……。歩き方も綺麗ですし』
 シャルティエは、の歩き方がお城で見る上流階級育ちのお嬢様方と同じようであることに気がついていた。
 シャルティエの言葉に、リオンは何か考えるように指で机の上を弾いた。
「リオン様、差し出がましいようですが」
 思考の淵に落ち始めているリオンに、申し訳なさそうにマリアンが声を掛けた。
「マリアン、今は誰もいない」
「エミリオ、女性にあのような口の聞き方をしてはダメよ」
 二人だけの時には、本当の名前である「エミリオ」と呼ぶ約束をしているのでマリアンは、小さい子に諭すように優しく呼びかける。
「女なんて、この世のゴミが全部詰まっているじゃないか。あれで、充分だよ」
「あら、私も女ですよ」
 マリアンは、おどけたようにリオンに答えた。
「マリアンは、違うよ。あんなのと一緒にしないで」
様は、エミリオに良い影響を与えてくれるわ」
「僕は、あの女が嫌いだ」
 吐き出すようにリオンが言った。
「どういうところが?」
「僕と歳が変わらないのに、余裕ぶっている態度が嫌いだ」
 言葉に出してみて、自分が幼いと思ったのかリオンは、マリアンの視線から逃れるように顔をそむけた。
『適当にあしらわれてますしね。坊ちゃんに言いくるめられちゃう人が多いのに』
「貴方自身をみているからじゃないかしら?」
「僕自身?」
「何を言っても貴方に言い返さない大人が多いのは、貴方の地位と身分と権力と、後ろ盾を貴方の姿を通して見ているからよ。様は、貴方自身を見ているのよ」
「そうかもしれない」
 リオンは、思い当たるフシがあるのかマリアンに優しく答えた。
「僕のことを知らなかったんだ」
「人は、地位や身分を気にしないで接することは難しいわ。そういう人を大事にしなさい、エミリオ」
「マリアンがそう言うなら」
 リオンは、ささくれだっていた気分が落ち着くのを感じて、穏やかな笑顔をマリアンに向けた。

大嫌いだ、あんな奴

[2012年 07月 02日]